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大阪市内(ベイエリア・弁天町・淀屋橋・本町・谷町・京橋周辺)のホテルに関連するキーワード

大阪市内(ベイエリア・弁天町・淀屋橋・本町・谷町・京橋周辺)エリアについて

【淀屋橋】
淀屋橋とは、大阪市の土佐堀川に架かる橋のことである。中之島(北区)の南岸と船場側(中央区)を結ぶ、国の重要文化財に指定されている。淀屋橋を中心とした地域名でもある。
この橋は大阪市のメインストリートである御堂筋の一部となっており、国道25号に指定されている。元々は土佐堀川に架かる橋の名前だったが、その後地下鉄御堂筋線と京阪電車の駅名(淀屋橋駅)とされたことから、中之島東部一帯及び駅周辺の地域名にもなっている。中之島には大阪市役所や日本銀行大阪支店があるほか、船場側には日本生命本社や住友村、大阪市の関係機関などのビルが立ち並び大阪の代表的なオフィス街である。橋の南側に位置する淀屋橋交差点に面した土地は、大阪市の中でも最も高水準の地価となっている橋名の由来は、江戸時代の豪商・淀屋が淀屋橋を架橋し管理したことによるものである。なお、現行の橋の意匠(デザイン)は、すぐ北側の堂島川に架かる大江橋とともに、1924年に大阪市の第1次都市計画事業で公募されたものであり、鉄筋コンクリート造りのアーチ橋ながら、パリのセーヌ川を参考に景観に配慮したデザインは、一部補修された以外は懸架された当時のままでる。市の第1次都市計画事業の目指すところを後世に伝えており、このことが特に評価され、2008年には「大江橋及び淀屋橋」として珍しくコンクリートの橋としては重要文化財に指定された。
橋の近くには「淀屋橋港」があり、水上バス「アクアライナー」が就航している。

【谷町】
谷町(たにまち)は、大阪市中央区の町名である。現行行政地名は、谷町一丁目から谷町九丁目。郵便番号は一丁目から五丁目が540-0012、六丁目から九丁目が542-0012である。発音は「た」にアクセントが置かれている。
近世において、天満橋南詰(天満橋交差点)から高麗橋通(谷町1交差点)までが一丁目、思案橋通(谷町2交差点)までが二丁目である。
南谷町以南も、谷町筋沿いは玉木町、万年町、立半町と続いていたが、この辺は大坂城南惣構堀の遺構である空堀跡の一部で、西側には瓦土取場が広がっていた。現在の六丁目や七丁目が西側へ広い町域となっているのはこのためである。
立半町以南は西成郡西高津村領内となり、谷町八丁目筋寺町と続いた。この西高津村と東成郡北平野町村・南平野町村・天王寺村に跨って、四天王寺に至る大坂最大の寺町が形成されたのである。

【京橋】
京橋(きょうばし)とは、大阪市にある橋およびその周辺の地名である。具体的には以下のものを指す。
寝屋川(古大和川)に架かる橋、京橋南詰~天満橋南詰~天神橋南詰~今橋東詰にかけての旧町名、大阪市都島区の京橋駅を中心とする地域である。
東京にある京橋とは違い、尻下がりのアクセントで「きょうばし」と発音され、「京橋」という名の橋は、京橋駅から1.2kmほど西へ離れた大坂城北側を流れる寝屋川に架かっている橋のことである。都島区と中央区の境目にあり、場所は、むしろ天満橋駅からの方が近く、かつての京街道の起点、また東海道五十七次の終点(江戸日本橋から137里4町1間)であり、大坂の玄関口として賑わったのである。
1724年(享保9年)の大火まで京橋南詰~天満橋南詰~天神橋南詰~今橋東詰に京橋一丁目~京橋六丁目という町名であったが、その後は上町筋以東の一丁目が火除地となったため、町名の由来となった京橋を含まない町域となってしまったのである。明治時代に入ると、京橋一丁目~京橋三丁目として再編され、区政施行後も大阪市東区の町名として存在した。平成になり、京橋一丁目~京橋三丁目は、中央区大手前一丁目、天満橋京町、北浜東の各一部となっており、京橋という町名は姿を消した。
一方、1895年(明治28年)に城東線(後の大阪環状線)の京橋駅が開業し、後に片町線や京阪本線との乗り換え駅となった。駅周辺が繁華街として発展するにつれ、「京橋」はその名をつけた駅およびその周辺を指すようになった。現在も都島区東野田町・片町、城東区新喜多一丁目・蒲生一丁目・野江一丁目一帯の通称である。広義では寝屋川の南側にある中央区城見、城東区鴫野西一丁目も含まれる。京阪本線の京橋駅は1949年まで蒲生駅と名乗っていて、昔は橋梁の京橋の近くに京橋駅(廃駅)があった。

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