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沖縄について

沖縄県は、日本の南西部、最西端に位置する県である。160の島から成る県で[1]、県庁所在地は沖縄本島の那覇市である。歴史的には、明治時代の琉球処分までは、日本の影響を多分に受けつつも中国大陸にある国家の冊封をも受けた「両属」の国家体系を採る琉球王国であった。そのため、他の都道府県とは異なる文化・習俗が根付いており、これらを生かした観光産業が盛んである。また、国内有数の長寿地域としても知られ、その食生活などが注目を浴びた反面、アメリカ統治時代に根付いた食文化も色濃い。太平洋戦争では地上戦(沖縄戦)の末に米軍が占拠した後、1972年(昭和47年)まで一貫して米軍の施政権下に置かれた。復帰後の現在でも多くの米軍基地が存在しており、政治問題となっている。現在、普天間飛行場の移転先を巡る論争が続いている。中華人民共和国および中華民国(台湾)では、沖縄を琉球と呼称し、今も日本の領土であることを認めない主張がある。国土交通省は、「沖縄本島」を、「本土」5島の一つとしている。ただし、沖縄では一般的に、本州を「本土」と呼んだり、あるいは、沖縄県を除く46都道府県のことを「本土」と呼ぶ場合もある。また、民間企業においても、特に運輸・輸送業界では、日本の都道府県で唯一陸路(道路・鉄道等)で他の都道府県と往来不可の県である等の理由から、「沖縄本島」に対して、「本土」ではなく、「離島」の料金体系を適用することも多い。「おきなわ」という地名の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説(伊波普猷)と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説(東恩納寛惇)とがあるが、いずれも定説には至っていない。沖縄という名称は自体は古く、淡海三船(おうみのみふね)著『唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)』(779成立)に、753年(天平勝宝5)遣唐使一行が阿児奈波島(沖縄島)に漂着したと記されており、本来日本では沖縄と呼称していた。のちに中国側からの呼称に従って琉球とよばれるようになったようである。この琉球の語源についてもまだ明らかになっていない。琉球処分のさい、明治政府内では「琉球県」の名称も検討された。これは1879年(明治12年)、琉球藩を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の伊藤博文から太政大臣の三条実美に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、中国語由来の琉球に対し、沖縄は琉球語(沖縄方言)の「うちなー」由来の名称であり、こちらのほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと考えられる。用語としての「沖縄」は元々は沖縄本島を指す言葉であったが、沖縄県設置により鹿児島県奄美群島を除く琉球諸島が沖縄と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった。琉球王国成立以前から、日本や中国などの東アジアの影響を受けて、日本本土とは違う、独自の文化を築き上げてきた。また太平洋戦争後から沖縄返還に至るまで、長期間米軍に統治されていたため、アメリカの文化(特に食文化)も深く浸透している。沖縄県の伝統的な諸方言(琉球方言)は、地理的・歴史的な経緯から日本本土の諸方言とは異なる部分が多く、琉球語として区別されることもある。ただし、その場合でも日本本土の言語とは系統を同じくすることから日本語族に属しているとされる。方言の地域差も大きく、沖縄県内では大まかに国頭方言、沖縄方言、宮古方言、八重山方言、与那国方言に分けられるが、それら諸方言の間でもそれぞれ別言語とされることがあるほどの違いがある。明治から昭和中期まで強力な標準語普及運動が推進されたため、2010年代現在、中年層以下では標準語が土着の方言の影響を受けて変化したウチナーヤマトグチが一般的となっている。

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