佐賀県は、日本の九州地方の北西部にある県。県庁所在地は佐賀市。唐津・伊万里・有田などは古くから陶磁器の産地として有名である。令制国の肥前国東部に相当する。明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の2県として分立した。県名は佐賀郡(現在の佐賀市)から採られたもので、『肥前国風土記』に伝えられる、楠の木が生え盛るこの地を指して日本武尊が言った「栄の国」に由来する。県名である「佐賀」は明治の県設置時に県庁所在地となった佐賀郡にちなむものだが、古来は「佐嘉」の表記が主に使われていた。やがて「佐賀」も使われるようになり、明治維新の時に「佐賀」に統一された。古い「佐嘉」の表記は佐嘉神社などに残されている。「佐嘉郡」は、風土記の一つである『肥前国風土記』に記された記述に由来すると言われている。佐賀藩にあたる県東部-南部では佐賀弁が話され、同じ藩域だった長崎県諫早地方では似た言い回しが多い。唐津藩にあたる県北西部では唐津弁、対馬藩飛び地にあたる鳥栖市東部・基山町では田代弁が話される。一般的に佐賀の県民性として、「いひゅうもん(異風者)」あるいは「ふうけもん(風変者)」という言葉が代表的に使われることが多い。両者とも変わり者、頑固、融通が利かないといったニュアンスがある。ただし、現代の佐賀弁では「ふうけもん」は馬鹿者といった否定的な意味が強いので、あまりそぐわない。また、特に男性に関してしばしば葉隠の武士道精神とも結び付けられ、上下関係やしきたりを重んじる、几帳面、まじめとされる場合がある。また「佐賀んもんの通ったあとにはぺんぺん草も生えん(佐賀の人が通った後にはぺんぺん草も生えない)」などと揶揄・自嘲される場合があるが、佐賀藩時代の厳しい財政下で大名家(鍋島家)自らの倹約から受け継がれた主に藩士の倹約家気質がさまざまな形で受け止められ、当時の言い回しが現代まで残ったものである。